特定非営利活動法人 あわホームホスピス研究会
理事長 五反田 千代
21世紀に入り、日本社会は、様々な天災人災に見舞われています。
『人のいのちの最期は遠くない』という現実を突き付けられている状況といえるでしょう。
日本の家族は1970年代よりライフスタイルや経済力を欧米化し、日本文化の家制度、多世代同居から核家族化の道を歩みました。肉親とはいえ、離れて住むと心理的な距離ができ、考えや日常生活習慣を相互理解しにくくなります。このような社会状況は、血縁による介護を困難にし、医療介護制度による病院施設の中で専門職による介護と看取りという状況を生みました。
人は、加齢や病気で、他人の手を借りて生活するようになるといろいろな苦痛が生まれます。(在宅ホスピス緩和ケアの理念では「全人的苦痛」と呼びます)
一旦離れていた要介護者本人と家族が、介護をきっかけに同居を始めることは、相当な心構えが必要になります。そのため、大多数のかたは要介護状態になれば病院や施設に入ることが大半です。
大規模な病院施設で暮らすということは、これまで、自宅の地域での親しんだ人間関係や日々の生活をあきらめ、多数の入居者とともに、入所先のルールに合わせるように意識を変えていくようになります。それは「自分で考え、自分で決める」ことをあきらめ、「自分らしさ」を隠して生きるのです。
2015年の厚労省の終末期の関するアンケート調査において、自宅で最期まで過ごしたいと希望する人が60%ですが、実際に自宅で最期を迎えた人は、10%という実状を皆さんはどう思われますか。
自分は、自宅で過ごし最期を迎えたいと願いながら、不本意ながら、病院施設で、一方的に世話される対象として画一的に対応されます。介護・健康状態によって次々と施設病院を転所させられ、最期を迎えることになります。
生まれてくる場所や環境を選ぶことはできません。でも人生を終えるときは、自分で望むようにしたいと考えるのはむりなことでしょうか。
2004年に宮崎県宮崎市で市民活動から発生した、「ホームホスピス」という活動と出会いました。
5人の入居者が一軒家の民家でともに暮らす。常時寄り添う介護看護職スタッフと24時間対応の訪問診療医、訪問看護、隣人、ボランティアなどがチームをつくってサポートします。通称「24時間ケア付き住宅」と呼んでいます。
ホームホスピスは、住人が自分で自分の一日を決め、持てる力を発揮して助け合い、対等な人間関係をきずくことで生きる張り合いを取り戻す場所です。そして、大切な家族を最期まで看取ることを支えます。
既存の施設、病院に加え、新たな選択肢として人のいのちの尊厳を一番に考え最善の暮らしを支えるこの活動は、全国に広がりつつあります。
公的制度である介護保険サービスも約20年を経過し、制度改正を重ね多種多様なの終の棲家が生まれました。今、皆さん自身が「アフター要介護」をどのように暮らし最期を迎えたいのか、元気なときに考えその意思を周りに伝えていくことが求められています。
2021年7月1日
元気なときに「もしも自分自身で暮らせなくなったときどうするか」を考える機会を提供します。「支えあえる地域づくり」を目指して、テーマごとに、情報提供と参加者同士のコミュニケーションを図ります。
「在宅医療という選択肢」「ホスピス緩和ケアの理念を正しく理解する」「人が死に逝く過程を知る」「病院と自宅をつなぐケアチーム」「リビングウィル・エンディング」
公的サービスの手の届かない部分のお手伝いができるよう、研究会独自のカリキュラムを修了した方を希望されるご利用者の方にコーディネートします
あなたらしい療養生活を実現するためのケアチームが速やかに構成できるよう、日ごろから、顔の見える関係作りをしています。
終の棲家の選択肢や在宅療養の暮らしに役立つ健康医療福祉の情報を集め、一般の方の目線で情報を検索できるように発信していきます。
がんや認知症の方、介護する家族が一時的に休める場所を設けるよう準備をしています。
家族間や血縁、知人、主治医には、話せないことを第三者にうちあけて、闘病のために緊張した心身を開放し、日常を離れて心身を緩めることができる環境を備えます。
民家の空き家を借りて、自宅では生活困難な1人暮らしの患者を、1軒に5名程度引き受けて、ヘルパーやボランティアが我が家的な雰囲気作りをしつつ世話をし、医師と訪問看護師が訪問ケアをするしくみです。
介護保険施設のように日常生活の困難度によって住み替える必要はありません、希望すれば、終の棲家として利用できます。
以上のような制度外の「もうひとつの自宅」を開設するよう準備しています。